関心と方向性について

どこかの風景、なにかの出来事を目にすると、そこで行われたかもしれない、あるいは行われるかもしれない、ささやかなドラマを想像せずにはいられない。そして私の頭の中に、まるで映画のワンシーンのように、カメラで切り取られた映像になって現れる。

昔はこうではなかった。目に映るものに対して考えていたのは、ほとんどがその物事自体の印象や、それを支える原理だった。例えば、勉強でいえば物理が好きで得意だったし、ある原理に基づいた工作物や構築物が好きだった。高校時代に訪れた「インポッシブル・アーキテクチャー」展や「バウハウス」展に感動しながら、こういった構築的な空間づくりを志していた気がする。

しかし、現在はそうした関心が比較的薄くなっていると思う。大学に入り建築設計やデザインの課題をこなす一方で、様々な映画を観ては、自主的に映像作品や映画を作ったりしていた。また、大学で教わる都市史・建築史や、「Liminal space」などと呼ばれるインターネットでの空間の表象のミームに興味を持った。散漫なように見えるし、実際そうだったと思うが、興味の重心が「作る」側の視点から、次第に「見る」側の視点へと傾いていったということが言えると思う。

でも、今書いたことと反対のことを書くが、もしかしたら私は昔から「見る」側に興味があったのではないか。思い返せば、私は幼少期からカメラが好きで、何気ない地元の風景をひたすら撮り集めることが好きだった。買ってもらった望遠鏡で天体観測をすることも好きだった。「見る」ことや「記録する」ことを通して、私は解釈を楽しんでいた。物事自体の印象や、それを支える原理ばかりを考えていたのは、そこから何かを「作る」のではなく、そこにある現実から原理を「見る」ことが好きだったからだと思う。

そして今、やはり私の関心は「見る」側にある。特に建築や都市空間で、さまざまな事物の複雑な相互関係によって成り立っている場所性について考えることが多い。それは意識的に捉えられるものではないし、原理で説明できるものでもないが、なんとか読み取ったことから解釈し共有することはできる。つまり、現実にある複雑なことをフィクションを通じて解釈し共有する実践が考えられる。

現実空間とフィクションを二重化する活動をしていきたい。