自分はこれまでさまざまな制作活動(それに満たない習作的なものも含めて)をしてきたけれど、それの根本となる自分の考え方やアプローチについて、あまり明確にしてこなかった。いわゆる「作家性」を、見出そうともしていなかったし、ことさらに強調することはなかった。これには、「作家性」を限定して自分の制作の幅を狭めたくなかったということ、作家としての自覚がなかったということの、大きく2点の理由がある。作ってきたものが後付けで自分を説明するものだろうと考えていたし、それと関係して、「自分は作家である」とあらかじめ言ってしまうことのダサさを感じていたことが根本にあった。


ところが、学生時代も終わりを迎えつつあり、徐々に社会に自分の立ち位置を構える必要が出てきた。「建築学科で勉強しながら映像作品を作ったりアートっぽいこともしているけれど、この活動がなんなのかまだわからない」と言える期間は残り少なくなっているのだ。今までの作品や活動がシンプルに自分の作家性を表していると良いのだけれど、あいにく自分の作品や活動はわかりづらい。それに、なんとなくこういう方向性だろうと気づき始めてからのものも、まだ十分な量とは言えない。私は何者なのか、嘘だとしても答える必要がある。


ここで自分の基本的な関心・制作の動機・作品の形式について、キーワードを書き出してみる。

・建築・空間

・構成

・モダニズム建築・西洋建築史

・都市史

・地理

・都市・場所

・人口減少・インフラ

・公共性

・演劇・演じること・フィクション

・均質空間・リミナルスペース・インターネット美学

・メディア論・記号論

・複製技術・自動化・情報技術

・映像・映画

・構図・モンタージュ

・カメラ・撮影・レコーディング

・アーカイブ


こう書き出してみると、それぞれが少しずつ関係しながらも、分野としては多岐にわたることが改めてわかる。しかし、これらのキーワードから見えてくるものもある。それは、「世界や仕組みを観察し発見し、それを記録し変換していくこと」が自分の関心の傾向であって、「世界や世界観を構築し表現していくこと」は関心の外にあるということだ。キーワードの前半は、世界がどうなっているのかに関わることで、後半はそれがどのように記録され、変換され、流通するのかに関わることと言える。好きな作家や表現者があまりなく、キーワードにも反映されないことから、表現に対する関心のなさがわかる。


現実の空間や現象に対して撮影・録音・複製・自動筆記といった単純な作用を加え、その反作用を、予期しないものも含め、編集や再構成によって作品にする。ひとまず、自分の作家性はこういう言葉で表現できるのではないだろうか。しかし、これだけでは言葉足らずな部分もある。例えば、撮影・録音・複製・自動筆記は、「ただそこにいたから」「なんとなく気になったから」といった必然的な動機によってなされるということ、編集や再構成は、記録されたもののつながりを立体的に組み合わせながら、単純な構成や考え方に収束させないことなどである。


このような作家性を最もわかりやすく示しているのが、2026年6月に行ったプラントショップのグループ展「生産」での、自分の2つの作品である。画像1枚目の《遠心力》は、キッチン周りについた歯磨き粉の跡が気になり、フロッタージュによって写し取り、1/2サイズで複製し再構成したもの。画像2枚目の《あの雲 ing》は、空を流れる雲をひたすらカメラで追いかけ、それをタイムラプス的に編集し上映したものである。もちろん、内容や技術的につたない点もあるが、自分のこれからの作家活動の指針となる作品だと考えられる。

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とはいえ、自分が何者かについての説明としてはまだ抽象的だ。でも、ここまで言えていればあとは実作で補えるのではないか。ひとまず、当分はプラントショップ等でさまざまな活動に関わりながら、映像や写真といったビジュアル表現を主軸に制作を行っていきたい。同時に、撮影・録音・複製・自動筆記の手段として何があるのか、何を動機にすることができるのか、再構成の方法としてどのようなことが考えられるのかについて、他の作家を調べたり勉強したりしながら探っていこうと思う。

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