特急に揺られている。京都ではみることのない広大な田園の向こうに、青くかすむ角田山と弥彦山の山並みを望む。
この夏は新潟に帰省する予定はなかったが、3日前に祖母の訃報があり、翌日には夜行バスの予約を取って急遽帰ってきた。
新津。観光列車「SLばんえつ物語号」の客車が止まっていた。パノラマが楽しめることで知られている最後尾のガラス張り客車があった。
祖母は87歳だった。ほとんど平均寿命だけれど、つい1、2年前までマンションで元気に一人暮らしをしていたことを考えると、健康寿命は相当長かった。理想的な臨終だったと思う。
葬儀は、田園の向こうに見える角田山のふもとのロードサイドにある小さな家族葬ホールで行われた。参列したのは、私、両親、叔父、叔母、従兄弟の6人だった。ささやかな規模なのは生前に祖母が望んでいたことでもあるし、今どき信心深い親族でなければ、ちょうどいいのだろう。家族葬ホールはどこかしこにも増えているらしい。
加茂を出発。線路が赤く錆びている。鉄の錆びた色はよく見ると奥深く、禅的な美しさを見いだせる。ゼミ旅行で訪れた香川県の金刀比羅宮にある「リョクタイデン」も、そのような美しさを持っていた。
叔父、叔母、従兄弟にちゃんと会うのは実に10年ぶりくらいだったが、相変わらず愉快な人々だった。叔父と従兄弟は喫煙者なので、しばしば玄関を出て煙を吹かしていた。
東三条を出発した。弥彦線の高架線が右方向に分岐する。そちらに進むと、また馴染み深い燕や彌彦に行き着く。しかし、特急が向かう見附、長岡方面は、私にとってはあまり馴染みのない場所だ。その先も、北陸を通って敦賀、京都方面に抜けるが、どこか他人の土地のような薄さがある。見附に到着すると、消雪パイプが巻く赤錆を含んだ水によって茶褐色に染まった道路が見える。私の帰属意識は、新潟市近辺の、道路が赤くない範囲なのだろう。長岡近辺の山並みは、やはり見慣れない。
ホールにしらない二人組が訪ねてきた。祖母の生前に関係のあった人らしい。大学で中国の何かの研究者であるという80歳ぐらいのおばあさんと、その子供であろう60歳ぐらいのおじいさんだった。父や叔母は信濃町の人と読んでいたので、新潟市の文教地区である信濃町に住んでいるのだろう。私とも、幼い頃に会ったことがあるらしい。従兄弟も大学の研究者を目指していることからも、意外と自分の家系は研究者気質なところがあるらしい。
長岡に止まる。今まで周りの席は空いていたのだが、一気に前後と左斜め前に人が座った。車内の客も、降りる人よりも乗ってくる人の方が多くて、5割増しくらいになっただろうか。やはりこの特急しらゆきの本領は長岡上越間だということだろう。
葬儀専門の人の指示による丁寧なメイクアップと納棺の儀式は、そこそこ興味深かった。今まで葬儀に参加した経験がなかったというのもあったが、棺に故人がどのように入っているかを初めて意識した。死に装束というのだろうか、あの世での旅のための衣装や道具も、服の仲に入れたり手に持たせる形で納める。その周りに生前好きだったものや持たせたいもの、花をレイアウトし、完了する。
柏崎に抜けるトンネルに入り、前の人のスマホの画面が反射して見える。いよいよ越後平野を去り、北陸の気配が漂ってきた。トンネルを抜けると、もう敦賀近くと見分けのつかない山あいの集落だった。
火葬する前の故人は、まだ耳が聞こえるらしい。その間に「ありがとう」などの言葉を発しながら、あの世での旅の準備を手伝うという形式は、納棺の作業に聖性を端的に与える。この形式は従来の仏教的な法事にはなかったことかもしれないけれど、現代の聖性のない社会に無理なく溶け込む良い形式なのではないだろうか。父が良いカメラを携えて、すべての作業の写真撮っていた。葬儀屋によると近年は写真を撮りまくるのが一般的らしく、それもまた現代性と聖性の折衷の形式なのだろう。
納棺を終えると、いつのまにか机に料理の準備がされていた。料理はおせちのように2段になった箱に和食、洋食、中華でジャンル分けされた、しかし食べたことのないような儀式的な料理が入っていた。飲み物も種類があったけれど、私と叔父、従兄弟はビールしか飲まなかった。この3人で延々に注ぎ合った。料理は珍しいので味はよくわからないけれど、とにかく尽きない話を聞きながらちょびちょび食べてはビールを流しこむのを繰り返すと、食事会の時間が終わる頃には食べ終わっていた。満腹。
柏崎を過ぎ、特急は海沿いギリギリを走っていく。右の低い柵の向こうには砂浜が広がっていて、新日本海フェリーだと思われる船が浮かぶ青い海が、水平線まで続いている。それしかない。情報量の少なさの仲に、無限の情緒を見いだせる。
霊柩車には私と従兄弟が乗った。今は昔ながらの黒い特殊な霊柩車ではなくて、普通の横長の車を改造したものが多いらしい。従兄弟とは大学のことや、文系理系の話、従兄弟が住んでいる寮や全国の寮のつながりについて話した。霊柩車で話すことなのか疑わしいが、変に話題を作り出しても似つかわないだろう。
火葬場はホールから30分ほどの青山にあrう、新潟市の施設だ。ここだと火葬にかかる費用の負担がないという。無料とはいえ立派な作りで、どこか安藤忠雄やアアルトの建築のようなモダニズム的風格を感じる。たしかに火葬場はなくてはならないインフラであるとともに、ケアの施設でもある極めて公共的な場所だ。棺を焼き終わるまで1時間ほどかかるといい、用意された待合室に通される。
直江津を出発。もうすぐで新幹線に乗り換える上越妙高駅だ。特急でさえ2時間かかるこのあたりはもはや他県の認識で、少しオリエンタルな気持ちにさせてくる。まだ数えられるくらいしか来たことがないし、それも通過や短時間の滞在でしかない。いつか城や観光地、お店を回りたいなあ。
火葬場の待合室でも、付属する売店で買ったお菓子をつまみに3人でビールを注ぎあった。従兄弟は国立に住んでいて、私は左京区に住んでいる。従兄弟によると、この2地域は、日本でもっとも学生がのんびりしている場所らしい。「さすくに」「さすさきょ」という言葉を思い付いた。東京に用があるときに寮に立ち寄ったり、逆に従兄弟が京都に来るときに会ってはどうかという提案を受ける。従兄弟の周りには変な人が多そうで、私としても拒む理由がない。LINEを交換する。そういえばどちらも映画に関わっているという話もあって、そういうつながりが生まれるといいね、と思った。
時間が空いてしまったが、特急から新幹線に乗り換え、現在は富山に着いた。新幹線は利用者が多く、今乗っている号車は3人掛けの中央を除いて満席に近い。車窓からは、右方向になだらかに下っていく富山ならではの平野が見え、その先にはうみがある。砂丘などで海が見えない新潟に比べ、どこか嘘っぽい景色だ。さすが新幹線の車内は走行音が響かず静かで、逆に居心地が悪い。今はキーボードをスマホに繋いで文字を打っているのだが、カチカチ音がならないように気持ち半分くらいの押し込みで頑張っている。
左前には、椅子の隙間から「風味爽快にして」というビールをホルダーに入れられているのが見える。「風味爽快にして」はサッポロが出している新潟限定のビールなので、私と同じく上越妙高あたりから乗ってきた人だろうか。自分もお酒を持ち込めばよかった、と一瞬思ったが、この静かで窮屈な車内では気が引けるだろう。通路を挟んで左側には弁当の袋を取っ手に下げている人がいる。食べた後なのだろうか、それとも気が引けて食べる前なのだろうか。この微妙に静かで居心地が悪いからこそ。パソコンをカチカチしても問題ないワーク用車両のようなものができてきているのだろう。奇妙なねじれを感じざるを得ない。ここのところ、建築や都市の公共空間について考えることが多く、公共性について勉強したり考えたりしようとしている。公共性を居心地のよさという観点からも論じることができるのではないだろうか。
高岡を出て、金沢へ抜けるトンネルを潜っている。トンネルにいる間は走行音が響いて多少カチカチを気にせずにいられる。スーツケースを網棚から下ろす人。そういえば網棚の上にはスーツケースが多い。皆観光だろうか。仕事用ではなさそうな大きめのものが多い。あるスーツケースから垂れているビニールの袋が揺れている。
金沢の平野に出た。同じ北陸にくくられることが多いけれど、全く馴染みのない。新潟ならではのくたびれ感、豪快さみたいなのが薄くて、どうも西日本的な緩さを感じる。過ごしやすいのだろうか。
金沢駅のホームの柱は、3メートルほどの高さに柱頭のような形の金色の帯がある。そのための照明ではないけれど、白い光が金色に当たって引例礼賛的な雰囲気を醸し出している。外国人観光客が数人降りていった。さすが観光都市だ。半分くらいの人が降りて窮屈さが減り、タイピングがしやすくなった。左前の人はまだ乗っていて、今度はパソコン作業を始めている。
右側は同じ高さの家が海の方まで広がっていて、家をはるかに超える高さに送電線の鉄塔がポツポツと点在する。その向こうには、わりと近くに海。左側にはわりと近くに山。平野というよりも、細長い平地だ。なんとなくチリを思い浮かべる。けれど、チリの幅は本州の幅よりも長いというXのポストを見たことがあるので、全然違うのだろう。
人が減ったため、自由を取り戻したかのように、お菓子を食べている人の音が聞こえる。西日が入ってくる。だが眩しいという感じでもなく、穏やかな秋の光だ。公共交通には、こうした余裕が必要だと思う。太平洋ベルトは苦手だ。倒れたままの背もたれを、車掌が移動のついでに直していた。
京都に戻ったら、そのまま居酒屋にいく予定だ。よくわからないけれどモニターとして行けるらしく、半分近くの値段で食べられる。ちょっとずつお腹が減ってきた。楽しみだ。
加賀温泉に止まる。加賀温泉の次は芦原温泉だ。ここらへんは温泉が多く、そこに行くという需要だけで新幹線駅が連続しているおもしろい地域だ。大仏像がいる。
相変わらず人は少ない。大阪方面の客は少ないのだろうか。サンダーバードが金沢へ直通していた時代は、もっと往来が激しかった気がする。北陸も東京志向に移りつつあるということだろうか。
そういえば、今日は新潟で特急の出発時間をまつ間、2時間ほど新潟駅周辺を散策していた。まずは本町へバスで向かい、急イトーヨーカドーが入っていたビルを訪れた。平日の本町通商店街は意外と人がおり賑わっていた。
ビルに入ってエスカレーターを上ると、虫食いのようにポツンとテナントが入っているだけの空間があった。テナントがはいらない大規模なショッピングセンターはこうなるのか、と驚いた。つかわないのであれば一般の立ち入りを禁止すれば良いのに、そういうこともなく、どこまでも行けてしまう。天然のリミナルスペースか。さらに、テナントは6階まで同じ密度で入っており、低層部に集約しない不思議さも感じた。上層には、イトーヨーカドー時代のレストラン街の名残で、1件だけ飲食店があった。しかし今日は定休日。幼い頃、この階で家族とおばあちゃんと一緒にご飯を食べた記憶がある。というか、いろいろな階で買い物をした記憶もよみがえってきた。馴染みの場所が衰えていく。不思議と悲しみは感じない。
新幹線は福井を過ぎ、車内はほとんど人がおらず、拍子抜けだ。北陸新幹線は、どの方向にもそれなりに利用者が分散していると思っていたから。福井と敦賀の間は、ちょっと山がちで、小さいトンネルに入っては小さい平地を抜けるということを繰り返している。福井は石川や富山と違って海岸沿いに平地と街が広がるのではなくて、内陸に集中する。平地も低い山に囲まれているので、同じ内陸の岩手や長野よりも、岡山や香川のような印象を受ける。やはり東日本と西日本は明確に地形が異なると思う。
本町の後は、おばあちゃんが住んでいたマンションへ向かった。この辺りは銀行やオフィスが集中していることもあり、往時より寂れたといっても、まだ人はそれなりにいる。駐車場の多い町並みだが、ところどころ現役の古い家やビルが残っていて、好きな雰囲気だ。マンションは、信濃川左岸にあり、1階と2階にちょっとしたお店や料理店が入っている。おばあちゃんの部屋は、手放す予定がなく、私が近いうちに住んだり利用したりすることができるらしい。ながめもいいし、立地もいいので、いつか使いたいところだ。